ぎりぎりで生きる

思考垂れ流し

私でも幸せになれるという根拠が欲しい

子どもの頃から何度も繰り返し見ている怖い夢を最近ほぼ毎日見るようになって、起きたらよく冷や汗をかいているんだけどどうしたら怖い夢を見なくなるんだろう‥
駄目な自分を変えようとできていないから焦ってるのかもしれないけど、不安で不安でたまらない。

こういうこと言うと誰かにアドラー心理学で殴られそう。


頭では分かっていても必ずしも合理的な選択をできるわけではない。

人の言うことを聴けなすぎて、いろんな人に愛想を尽かされそう。
心配してくれているのにごめんなさい。

だいたい人生において大きな失敗をする時は感情的になる時だから、絶対にもう感情に支配されたくないし、自分は感情では動かない。
何度思ったことかわからないけど、口は禍の元だから余計なことは言わないように気をつける。
自分を律することができるようになって、ちゃんといざという時に頼りになるような強い女性になりたい。

でももし突然明日から私がいなくなってしまったとしたら私の好きな人は何日後に気が付くのかな、とか、連絡が返ってこなかったらすぐに諦めて私のことは忘れちゃうかな、とか時々考えてしまう。

いちばん言いたい人はいちばん言っちゃ駄目な人だから私のことは結局誰も知らないまんま。

私が今後ちゃんとした大人になる為には生贄が必要な気がする。無条件に受け入れられる経験をしないと相手を消耗させるだけの関係しか作れない。普通は母子関係で依存と許容を繰り返すことによって安定した人格が形成されるけどもう不可能だから。
そんな事しなくても大丈夫なように自分でなんとかしなくては。


その年齢で経験するべき事をきちんと順当に経験している人達に対して自分はその年齢で経験するべきことが致命的に抜けていて本来ならもっと年齢が高い人が持つような悩みだったり我慢や経験を強いられてきているから生活年齢/精神年齢の最高値が高くても土台がぐらぐらで不安定。


年齢的に子どもの時期に精神的に子どもでいられる人が心から羨ましいと思う。

 

 

適当に書きすぎていろいろ間違えてるけど、私以外みんな強い の図↓

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